王将

思えば名優板東妻三郎の円熟期は、時の権威による検閲時代でもあった。「無法松の一生」は日本軍部の検閲に引っ掛かる。平和が甦った。今度は彼得意の時代劇がGHQにより禁止された。斯くて「王将」が誕生する。
物語は明治39年に始まる。私の母が生まれる前年、祖母が25才の年だ。市電があったんだなぁ。坂田三吉の筆順が彼の人となりを無言で現し秀逸。
恥ずかし乍ら私は下手糞な素人将棋を指す。昔は升田幸三(著書「勝負」も読んだ)今は谷川浩二ファン。何れも関西の棋士故に。この映画で将棋指導した升田幸三の名は懐かしい。坂田が関根に挑戦した如く、升田も弟弟子大山と共に、木村名人に挑戦した。名人に齣落としで勝つ。坂田そっくりだった。兄弟弟子の高野山決戦は語り草となった。好きな話は語り尽きない。
閑話休題。
何度も写る通天閣。右(多分東)へ西へ白煙を吐き走り去るSL。ねんねこ姿の子守娘が佇む街角で、娘の「桜のベベ」を売り払ってまで将棋を指したい三吉が実在した。一将棋ファンとしてその気持ちは痛いほど解る。
そんな彼が家族の危機に、齣を投げ捨て家路に突っ走る。移動撮影の迫真性はイドウダイスキ監督の面目が発露し躍進する。
音楽も佳い。♪鉄道唱歌。♪天然の美。あぁ懐かしいジンタの響き。妙見はんの太鼓。“凄い”という言葉はこのためにあると言いたい。
「将棋止めて言うて悪かった」。「その代わり日本一に」。「ほんまに止めなはるか」。落ちている王将の齣拾う小春の手。このショットも凄い。「さすなら日本一」。祈る小春。
30年に12人。オール関東。関西に。眼科医の悲願。将棋盤に極度に眼を近づけて指していた三吉の手術は白内障だったのだろうか?。
雨洩れ。受ける盥。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。………………………………
8年経つ。大正2年6月。関根と3日間の激闘。現在は2日だ。そして有名な25銀。昔の写真。マグネシウムの煙が懐かしく立ち昇る。
娘の抵抗。三條美紀、一生一代の熱演だ。水戸光子も名演である。時に大正3年。そして10年。11戦7勝。
これまた懐かしいじんべ。そして16年目。一生の敵に名人を譲る美徳の麗しさ。関根名人もそれを受けるに相応しい人物だったのは嬉しい。
「危篤てなんや」と言う坂田三吉が、関根名人に送る祝儀の品に、私の顔面はクシャクシャになっていた。
板東妻三郎。不世出の名優であることは言うまでもない。
【私の評価】堂々たる秀作。
【私の好み度(①好む。②好む方。③普通。④嫌な方。⑤嫌)】→①。
1948年(2012/3/28TV録画観賞=初見).日(大映)[監督]伊藤大輔[撮影]石本秀雄[音楽]西梧郎[主な出演者★=好演☆=印象]★板東妻三郎。★水戸光子。☆滝沢修。★三條美紀。奈加テルコ。小杉勇。大友柳太郎。三島雅夫[上映時間]1時間34分。