姉妹
1955年[監督]家城巳代治[出演]野添ひとみ。中原ひとみ。河野秋武(他)

コンチと呼ばれている妹が活き活きとしている。「姉さんは神の試練と思うけど、私は政治の貧困だと思う」。
クリスチャンとしての考えに傾注する姉、圭子に敢然と言い放つコンチ。こと、近藤俊子だった。
このショット以外にも、政治的性格を含んだ場面が見受けられる。が、その是々非々は映画を観る者としては別の世界。
ただ当時の世相をリアルに知る人間の一人として、弱者の立場に立脚した考えには共鳴したい。
今は死語と化していると思うが、貧乏人の子沢山という言葉があった。圭子、俊子の下にも3人の男児を抱えた父は、俊子に修学旅行を断念させる。
なお、これに拘わる話は「キューポラのある街」でも描かれているが、こちらが7年先輩である。
でも、それはどうでもいいこと。要は、父の心境を真から理解出来るつもりの私は、込み上げて来るものを禁じ得なかった。
それでも健気さを失わぬコンチがいじらしい。彼女は相思相愛の仲を諦める姉と、その彼との双方に食いかかる。「それでもいいの!」。
お若い方を始めとして殆どの方は、コンチの意見に全面的に同調されると思う。私も共振したい。その裏で、当時の社会をリアルに知る私は、二人の男女の心境も手に取る様に解って哀しかった。
圭子は、見合いした相手の許に嫁ぐ。結局のところは、角隠し姿で嫁ぐこのシーンは特に印象深い。
なお、今更此処で言うまでもなく、信仰の自由は憲法で保障されており、その是々非々を論じているものでは無い事を、念のために記して置きたい。
「私は私の方法で。姉ちゃんは姉ちゃんの方法で行ってね。」と結ぶ俊子。何かにつけて対照的だった姉妹に扮した女優が、二人のひとみさん。歳も一つ違い。映画では妹役の中原さんが姉だ。
姉役の野添ひとみさんは、この5年後に俳優、川口浩さんの許に嫁ぐ。特に印象に残る作品はないが、夫婦とも夭逝されたのが惜しまれる。
妹役の中原ひとみさんは、この2年後「純愛物語」で演じた原爆症の娘が強印象。その時共演した江原真二郎さんと結婚されたのは周知だが、8年後に家城巳代治監督と再び組んだ「みんなわが子」も印象に残っている。

コンチと呼ばれている妹が活き活きとしている。「姉さんは神の試練と思うけど、私は政治の貧困だと思う」。
クリスチャンとしての考えに傾注する姉、圭子に敢然と言い放つコンチ。こと、近藤俊子だった。
このショット以外にも、政治的性格を含んだ場面が見受けられる。が、その是々非々は映画を観る者としては別の世界。
ただ当時の世相をリアルに知る人間の一人として、弱者の立場に立脚した考えには共鳴したい。
今は死語と化していると思うが、貧乏人の子沢山という言葉があった。圭子、俊子の下にも3人の男児を抱えた父は、俊子に修学旅行を断念させる。
なお、これに拘わる話は「キューポラのある街」でも描かれているが、こちらが7年先輩である。
でも、それはどうでもいいこと。要は、父の心境を真から理解出来るつもりの私は、込み上げて来るものを禁じ得なかった。
それでも健気さを失わぬコンチがいじらしい。彼女は相思相愛の仲を諦める姉と、その彼との双方に食いかかる。「それでもいいの!」。
お若い方を始めとして殆どの方は、コンチの意見に全面的に同調されると思う。私も共振したい。その裏で、当時の社会をリアルに知る私は、二人の男女の心境も手に取る様に解って哀しかった。
圭子は、見合いした相手の許に嫁ぐ。結局のところは、角隠し姿で嫁ぐこのシーンは特に印象深い。
なお、今更此処で言うまでもなく、信仰の自由は憲法で保障されており、その是々非々を論じているものでは無い事を、念のために記して置きたい。
「私は私の方法で。姉ちゃんは姉ちゃんの方法で行ってね。」と結ぶ俊子。何かにつけて対照的だった姉妹に扮した女優が、二人のひとみさん。歳も一つ違い。映画では妹役の中原さんが姉だ。
姉役の野添ひとみさんは、この5年後に俳優、川口浩さんの許に嫁ぐ。特に印象に残る作品はないが、夫婦とも夭逝されたのが惜しまれる。
妹役の中原ひとみさんは、この2年後「純愛物語」で演じた原爆症の娘が強印象。その時共演した江原真二郎さんと結婚されたのは周知だが、8年後に家城巳代治監督と再び組んだ「みんなわが子」も印象に残っている。