一枚のハガキ
この映画は「凛として愛」を見た翌日に観た。お陰で、夫の遺骨箱の中味を見た友子(大竹しのぶ)が、柱に投げつける気持ちが痛いほど解った。
足に錘を装着して老人の不自由さを体験する若人の話を聞いた事がある。感動した
「病気をした事がない健康な人は…(現在は禁語のため書けない)…だ」の言葉も聞いた。(病人の気持ちを真に理解出来ぬという意味)。
足に錘を付けてまでか弱き人を思う域には達せぬ私だが、多少は戦時の空気を吸った。この映画に出てくる麦踏みもした。足に踏まれて成長する麦を当時は不思議に思ったものだ。
友子が啓太に扱い方を教えるタンゴも担いだことがある。私の場合、桶の中味は水でなく屎尿だった。零して足が黄金色に染まったあの70年前も思う。

故に、友子と啓太(豊川悦司)が担ぐ水汲みたんご。その草鞋の緒から覗く足の指。クローズアップされたその痛々しさに、「裸の島」に想いを馳せた新藤兼人監督を垣間見る。利己主義な村の役人に向ける憤怒の息遣いも聞こえてくる。
当時は無農薬ゆえ賑わしかった田圃の蛙。その声が効果的。
兄の出征。姿無き帰還。弟の出征。姿無き帰還。本来はもっと描かれてもいい場面がアッという間に終わる。

無論それは、友子が兄と弟に仕える主題への序章であるためと思う。私も身近に知っているが、これと同じ話は当時よく見られたものである。
100歳だった監督。友子と二人の夫との夜の営みに現代感覚を垣間見せるその裏側で、兄弟の両親の苦悩と受難を痛々しく主張する。私は「楢山節考」を想起した。
この映画では、100人中94人の不幸な兵と、6人の幸運な兵の対照が見られる。偶然、昨夜のTVの戦艦大和に拘わる話と相似形だった。これを定められた運命というのか。それとも宿命と呼ぶべきか。
例年になく冷たい師走に入ってより、未だに70年前の世界の余韻に浸って居る。
友子よ、啓太よ、雄々しく生き抜け。
渾身の反戦映画を撮り終え、天に召された新藤兼人監督。
乙羽信子さんとの再会に歓喜されている声が聞こえます。
衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。
足に錘を装着して老人の不自由さを体験する若人の話を聞いた事がある。感動した
「病気をした事がない健康な人は…(現在は禁語のため書けない)…だ」の言葉も聞いた。(病人の気持ちを真に理解出来ぬという意味)。
足に錘を付けてまでか弱き人を思う域には達せぬ私だが、多少は戦時の空気を吸った。この映画に出てくる麦踏みもした。足に踏まれて成長する麦を当時は不思議に思ったものだ。
友子が啓太に扱い方を教えるタンゴも担いだことがある。私の場合、桶の中味は水でなく屎尿だった。零して足が黄金色に染まったあの70年前も思う。

故に、友子と啓太(豊川悦司)が担ぐ水汲みたんご。その草鞋の緒から覗く足の指。クローズアップされたその痛々しさに、「裸の島」に想いを馳せた新藤兼人監督を垣間見る。利己主義な村の役人に向ける憤怒の息遣いも聞こえてくる。
当時は無農薬ゆえ賑わしかった田圃の蛙。その声が効果的。
兄の出征。姿無き帰還。弟の出征。姿無き帰還。本来はもっと描かれてもいい場面がアッという間に終わる。

無論それは、友子が兄と弟に仕える主題への序章であるためと思う。私も身近に知っているが、これと同じ話は当時よく見られたものである。
100歳だった監督。友子と二人の夫との夜の営みに現代感覚を垣間見せるその裏側で、兄弟の両親の苦悩と受難を痛々しく主張する。私は「楢山節考」を想起した。
この映画では、100人中94人の不幸な兵と、6人の幸運な兵の対照が見られる。偶然、昨夜のTVの戦艦大和に拘わる話と相似形だった。これを定められた運命というのか。それとも宿命と呼ぶべきか。
例年になく冷たい師走に入ってより、未だに70年前の世界の余韻に浸って居る。
友子よ、啓太よ、雄々しく生き抜け。
渾身の反戦映画を撮り終え、天に召された新藤兼人監督。
乙羽信子さんとの再会に歓喜されている声が聞こえます。
衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。