悪魔の美しさ

「悪魔の美しさ」という邦題は、原題LA BEAUTE DU DIABLEを直訳している。なのに、悪魔は全然美しくなかった。この題名は、いったい何を意味しているのだろう?。私は未だに分からないで居る。
彼の有名なゲーテの「ファウスト」は、題名しか知らない私だが、恐らく、ルネ・クレール監督は、そこから、それを見出し映画化したのだと推測してみたりもするが、、?。
だからという訳でもないが、この大人の御伽噺のような物語は、人により様々な解釈。いろいろな採り様があるのではないだろうか?。私はこの映画から、青春賛歌を見出す。
50年もの長き間、象牙の塔で科学研究に没頭。後輩連から送り出されるファウスト(ミシェル・シモン)の背に、20年前、同じように送り出された私が重なる。
そして、若返った彼に、青春時代の私が重なる。「おぉ、こんなに足取りが軽い」とかいうような台詞を吐く青年アンリ(ジェラール・フィリップ)の1カットが印象的。
マルグリット(ニコール・ベナール)との恋模様からも、我が青春の残像の一片が少しながらちらついたりした。
青春は楽しい。青春はベスト。引いては、青春は美しい。
だけど、メフィストフェレスからは何の美しさも見いだせない。
だから、私の青春時代に作られたこのフランス映画は、私にとっては、“悪魔の美しさ”ではなくて、“青春の美しさ”なのである。
今やファウスト博士より齢を重ねる私だが、せめてこれからも、“心の青春”だけは維持し、ひいては到らぬ乍らも“心の美しさ”を求めて生き抜きたいものである。