12人の優しい日本人

中原俊監督の作品を見るのは初めて。中原監督は「12人の優しい日本人」(以下「優しい…」と略)の前年に「桜の園」を撮っている。未見だが、秀作と漏れ聞く。
だが「優しい…」を観ている内に何時の間にか、三谷幸喜ワールドの渦中に居る私を見た。
宜成るかな。脚本が三谷幸喜だった。映画は、監督と脚本家の表裏一体作品であるとの認識を深くする。
1991年、斯くして出来上がった「優しい…」は、1959年のアメリカ映画「十二人の怒れる男」(監督シドニー・ルメット=以下「怒れる男」と略)のパロディであることは周知の通り。
「優しい…」は、あまりにも著名な「怒れる男」と、どうしても比較されるため、多少損をしている。見劣りして見えたのはやむを得ないところ。
私にとっては、裁判員制度施行後の鑑賞ゆえ余計である。もし施行前に見て居れば、また異なる所感を得ていたかもしれない。
という訳は、「優しい…」は、もし日本でアメリカと同じ陪審員制度があったとすればという仮定の許に作られている筈。
陪審員制度に類似する裁判員制度が施行されている現在から見れば、「優しい…」は、“裁く”という厳粛な役目の割りには、些か真剣味に欠ける嫌いがしたのである。
「怒れる男」も同じような一面があったのではないか。という見解も少し生じた。
だが、1950年代の米国と、1990年代の日本との、時の価値観、国民性の相違がそうさせるのかもしれない。
それに、「怒れる男」ではオール男性だったが、「優しい…」は複数の女性も居る。“怒れる”に対する“優しい”の意識が垣間見られる。
偶然、今朝のラジオは、昨年、裁判員制度で4件の死刑判決があったと報じていた。相当悩んだ末の判決だったろうと推察する。
個人的にはこの制度に反対だった私だが、決まった法は受け入れねばならぬのだ。
と書いてきて、2007年.のロシア映画「12人の怒れる男」(監督ニキータ・ミカルコフ=以下「ロシア版」と略)は、どうなのか?。と思い当たった。
「ロシア版」は、「怒れる男」へのオマージュが込められていた。パロディ喜劇の「優しい…」とは比較出来ないだろう。
「優しい…」は、「怒れる男」や「ロシア版」とは、作風思想を異にする。そういう観点からは、欠如する真剣味も許されるかもしれない。
だが共通するものがある。それは、カメラを一室に固定した舞台劇風の作品ということ。
当然多少の違いはあるが、基本的な内容は酷似している。
といったことから、ストーリーに触れるような記述内容は思い当たらなかった。
ということで、雑然としたレビューになってしまった。拙ブログ管理者一人忘年会のたいとしておこう。
脱線ついでに、陪審員に関する映画を思い出すままに、下記にランクし、この項を終えたい。
①「十二人の怒れる男」1959年(米)=申し分なし→秀作
②「12人の怒れる男」2007年(露)=臨場感充満→秀作
③「裁きは終りぬ」1950年(仏)=安楽死と陪審員→秀作
④「ニューオーリンズ・トライアル」2003年(米)=陪審員保護訴え→佳作
⑤「或る殺人」1950年(米)=陪審員は真剣たれと叫ぶ→佳作
⑥「陪審員」1996年(米)=陪審員を襲う社会の悪→中の上
⑦「12人の優しい日本人」1991年(日)=今回鑑賞→中の中
-以上-
本年鑑賞し未レビューの作品があるが、本年のレビューは多分これにて終了するだろう。
本年中、拙ブログをお読み頂き、また、コメント&TBをお寄せ下さった皆様方に感謝します。
どうぞ、よいお年をお迎えください!
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