ヒューゴの不思議な発明

懐かしいパラマウントのロゴ。続くカメラワークが快い。SLの走行音がチックタックに変わる。回る時計の歯車。それが凱旋門広場に変貌する。ナイス・シンクロナイズ!。
カメラは右にパンする。現れるエッフェル塔。アメリカ映画だけど舞台はパリ。 市街の俯瞰は手前にティルトする。ズーム・イン。現れるプラットフォーム。 いと鮮やかなり。
パリに行ったことのない私。思わず地図を紐読く。パリには6つの終着駅があった。出現した駅はそのどれかは不明。パンとティルトした方角やプラットフォーム数から、東駅と推察したが?。クローズアップされた時計台が7時を指す。
私が見たのは2D版だが、3D映画と聞く。道理で3Dを意識した場面が多い。駅の雑踏。線路。列車。等々。特にヒューゴが大時計の針にぶら下がるシーンが印象。
だがこの作品は3Dが目的に非ず。映画は時計台で働くヒューゴ少年を通じて、この映画のテーマと思われる“映画誕生期へのオマージュ”の世界に一気に突入してゆく。
それは誠に鮮やかだった。ヒューゴの父が残した機械人形を見て想起した。「メトロポリス」を。ペンで字を書く機械人形。その手が途中でストップするが。
やがて壊れて居た手が動き出す。ジョルジュ・メリエスが居た。彼の「月世界旅行」の絵。メリエスの妻も居る。駅売りの花が鮮やか。「グルドから夜行列車で来た」と花売り娘。
「機械には目的がある。汽車は運送。時計は時間」。
「人間も同じ。人間も目的を無くしたら、壊れる」。
含蓄あるセリフだ。
フランスの映画人はその目的を果たす。1895年。リュミエール兄弟、シネマトグラフ開発。「列車の到着」の断章に喜びが溢れていた。
手回し映写機を回すメリエス。手品師だった。月の顔に色が着いてる。スタ・フィルムを創立するメリエスが躍動していた。
だが世の中は終始順調ではない。第1次世界大戦勃発。映画が×に。彼は雄叫ぶ。「私は学んだ。ハッピーエンドは映画の中のみ」。更に続ける。「その子は私が引き取る」と。
引き取られたヒューゴ、遂に機械人間を修理する。
今の3D映画あるは映画創世記のお陰。と述懐するマーティン・スコセッシ監督の息遣いを傍に感じた。
ファンタスティックなその映画を楽しむ今の私が居た。