
以下は1954年9月26日、今はその姿無き映画館で、満員の観客と共に涙し、帰宅後書いた鑑賞記です。
何という良い映画であろう。映画とはこういう作品を言うのであろう。2時間40分の間、画面を凝視させ、感動止むところを知らず。全編に、移りゆく雲のように流れゆくヒューマニズムと平和への祈り。瀬戸の小豆島を彩る美しい四季の風景。子供達のあどけなさ、可愛さ、純真さ。始めから終わりまで、静かに流れる、或いは口ずさむ、合唱する、懐かしい心のふるさと、小学唱歌。清い叙情と自然な感傷、清らかな感動、師弟愛の美しさ。
書いていては切りがない。とにかくこうゆう映画なのである。高峰秀子の大石先生と小学1年~5年~卒業後と変わる12人の子供達の物語は、昭和3年4月4日、若い女教師が島の分教場に赴任した時から始まる。ここは老いた男先生が一人居るだけ。初めての出席確認で12人の横顔が紹介される。
生徒のニックネームも書き込む女先生が微笑ましい。自転車に乗るモダーンな先生を、大石小石と呼ぶショットは和やか。桜の丘を汽車ごっこで走るシーンの詩情は最高。自分たちの悪戯で負傷した先生の家へ見舞いに行くシークェンスの、生徒達のあどけなさと可愛さは何ともいえぬ。
その先生との別れが来る。本校に変わる先生を送る生徒の唄う「七つの子」には胸詰まる。生徒達は5年生になる。竹下竹一は将校志望、森岡正は下士官、相沢仁太も「俺も成績良ければ」と笑わせたが、大石は子供たちの軍人志望を悲しむ。「自分の子が戦死して本当に喜べるか」と。
島は貧しかった。”やなごおり”の弁当箱が恥ずかしかった松江は奉公に出される。修学旅行の船は先生の夫の船とすれ違う。金比羅の石段を仁太は大きすぎる靴を両手に上る。飲食店で大石は松江を見つける。大石の去った後、懐かしい旧友を覗き見し、泣きながら船を見送る松江の心境は如何ばかりか。こんな哀れな身にさせてよいものか。目頭潤むシーンだ。
学年末、貧しくて修学旅行に行けず綴り方の書けぬ生徒、頭がよいのに進学出来ぬ生徒、卒業式。大石に写る12人の顔、24の瞳。香る梅は美しいが、戦争の臭いは学校までヒシヒシと迫る。大石は学校を辞める。太平洋戦争勃発。軍歌と旗の波。
軍人志望の長男の大吉と、肺を病むたまえに同じ愛を注ぐ大石。教え子も二人戦死、一人負傷盲目。終戦。食糧不足で青い柿を食べようとした娘が死ぬ。時は流れる。40歳近くになった大石は、波静かな瀬戸の小高い丘に立つ教え子の墓標に額ずき、復職の決意をする。
生きている生徒は歓迎会を催す。田村高広が「眼が見えなくてもこの写真だけはわかるのだ」と、指で一人一人の名を言うシーンに泣かぬ者があるのだろうか?新しい生徒は元の教え子の子弟が多い。教え子に贈られた自転車で平和の戻った懐かしの校舎に通う大石。この映画はここで終わる。
女の子はハンカチを目に当てていた。自分も何度目頭が濡れたことか。決してこれはおセンチな安物の涙に非ず。二度と不幸な戦をさせてはならぬという決意の涙だ。
【4度目観賞文→】実に4回目の観賞である。が何回見てもその度に凛とした勇気と神のような清らかな感じに包まれる。映画芸術の神髄である。フィルムがだいぶ汚損されており、骨格を成す小学唱歌が途切れ途切れなのは残念だったが今度は泣かずに見られた。
しかし「仰げば尊し」は実に感銘深く「思えば幾とせこの年月」で一段と高くなる高揚が、只素晴らしいでは表現出来ぬ感動の盛り上がりを伴う。実際こんな感銘深いラストシーンは他に例を見ぬ。此の映画で流れる涙は皆理由ある涙、決してセンチな涙に非ず。人間の真理が見られる。
ラストの同窓会で小ツルが、手を引かれ杖を突いて来るソンキに「生きて帰ってもめくらでは困りますわ」と言うが、ここだけが此の映画の一大汚点。いくら明るく振る舞うつもりでもそこまで言えるか。どういう気持ちでそんな言葉を吐いたのか。
今回は少し冷静に見られたが秀抜なことは少しも変わらない。流れる桃の花の匂い、波の音、目も覚める緑、詩的叙情な舟、そして美しく勇ましい人々が奏でる一大交響曲は映画史上に燦として永久に光を放つ。大石久子先生。この人のように「薫り高く勇ましい生涯」を送りたい。と思わぬ人はないであろう。特別秀抜作