おかあさん

既レビューの映画だが再見。当時と所感は変わらなかった。こういう場合、本来、再レビューは難しいものである。しかし折角、再見したので今回は別の目線から少し述べてみたくなった。
それは時代考証が確かな事である。特に最近の映画や、TVドラマにはこの点に欠ける場合を多々見受ける。今の朝ドラに登場する足踏みミシンを今も使っている愚妻も、時々呟く時がある。「当時はあんな物(又は事柄)が無かった」と。
独断と偏見の発言を許して貰えれば、現在は、どちらかと言えば、自己主張が強すぎて、ぶりっ子的な作品が少なくないのではないだろうか?。その前には、ともすれば地味な真実が軽視され兼ねない因子を含むと思う。
そのような観点から、客観的に、素直に当時の森羅万象を如実に伝えている点で、「おかあさん」は素晴らしい。
特に、コックリさんのシーンが懐かしい。今は知る人も少ないと思う。太平洋戦争に敗れた直後、なかなか帰国せぬ肉親の写真の上に、錘を付けた糸を垂らす光景が屡々見られた。垂直に垂れていた糸はやがて、微妙な手の震えが伝わり自然に動き出す。それが回転木馬のように輪を描けば「生きている」ブランコのような振り子運動だと「戦死」と占ったもの。
でも大抵の場合、輪を描く。「生きていて欲しい」という祈りが手に伝わるのだ。現実はその反対が多かった。私事で恐縮だが私の叔父もその例に漏れなかった。
我田引水になるので、これ以上の発言は控えるが、「風呂が漏る」という台詞一つ採っても、その意味を理解し得る年代は少なくなってしまったのが寂しい。
他にも此の映画の中では懐かしい事物が見られた。バラック小屋のような民家。露店。チンドン屋。夜泣きラーメン屋のチャルメラ。洋裁学校。満州引き上げ。唱歌と歌曲だけの素人喉自慢会場。紙芝居。洗濯竿。割れた障子ガラスに貼った花模様の紙。
みんな、みんな、当時を知る人間にとって、それはそれは懐かしい風景の連続で全編が埋め尽くされていた。そしてつくづく再認識した。「貧しい時こそ、人情豊か」という真実を。物質的に恵まれると人情は廃れやすい。
といった観点からは、姪を養い娘を出す。という正子の心境には少しばかり理解に苦しむ。「働くから妹を出さないで」と懇願する年子を無視してまで…。
そんな正子を田中絹代はひたすらに演じてゆく。ま、気が良すぎる女性だったのだと解釈しておこう。
「女が強いと近所の口が五月蝿い」という台詞も印象深い。田中と加東に向ける香川の視線。三島雅夫の咳に煙草を仕舞う加東に見る心の優しさ。私は大丈夫と虚勢を張ったものの、遊園地で疲労の色を隠せなくなる田中。いろいろ心に残る場面が鏤められつつ、ラストに泪。何故だろう?。
この時代ありて、今があるからだ。と思う。その反面で、全部が全部とは言わないが、どちらかと言えば、自己主張が強く、ハデーズな雰囲気が目立つ現代になった一因に、我等世代にも責任の一端がありやしないか。という責任感みたいな反省も生じる。
【私の評価】何度観ても優れた作品です。
【私の好み度(①好む。②好む方。③普通。④嫌な方。⑤嫌)】→②。
1952年(2011/10/24観賞=再見).日(新東宝)[監督]成瀬巳喜男[撮影]鈴木博[音楽]斎藤一郎[主な出演者★=好演☆=印象]★田中絹代。☆香川京子。★加東大介。岡田英次。三島雅夫。中北千枝子。☆榎並啓子。☆三好栄子[上映時間]1時間38分。
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