安城家の舞踏會

我が街も映画館が無くなったが、今日の購読紙は“ミニシアターの哀歌”を伝える。デジタル映写装置を備えたシネコンに圧倒されて居るのだ。携帯電話がスマホに負ける現在と似ている。配給会社がフィルム方式では採算が合わなくなったらしい。今や此の映画が封切られた頃の風景も伝説となるか。
登校途中に映画館が在った。毎週代わる上映作品の都度、油絵で描かれた看板も替わる。吉村公三郎監督が同年に撮った「象を喰った連中」の看板を妙に覚えている。街頭の目立った軒先にはポスターが貼られる。映画はモノクロだが派手なカラーで。

この映画も内容は派手だ。ゴヤの有名な裸のマヤが鎮座する安城伯爵家。祖父の肖像も子孫を見下ろしている。一般家庭は高嶺の花だった4枚羽根の黒色扇風機。ざあます調の言葉。モンペ姿も2年経つと斯くも変貌するかと驚く衣裳。
ただ、これは決して、新しい世に立ち向かおうとする原節子のプラス思考を貶すものでないことだけは断っておく。寧ろこれこそこの作品の命とは思う。

兎にも角にも、豪華な料理は「兄とその妹」のそれだ。こんな上流社会が滅亡する時だった。開かれる最後の舞踏会。外国原作ものにありがちな日本舞台の違和感はある。周知の通り、アントン・チェーホフの戯曲「桜の園」が下地だからやむを得ない。
それを消し去るのは、「山猫」を想起するヴィスコンティの滅びの美学に通じる無常観。右肩下がりの構図など新鮮な撮影の中に、時の流れを描ききりあっぱれとは思う。だがその裏面で、新川や遠山の姿に思わず思い出すのは当時の闇市。
同じ年に公開された「素晴らしき日曜日」に共振する私にとっては、赤裸々な戦後の傷跡が一切垣間見られぬこの映画は、作品価値は認めでも好きにはなれない。この映画から数年絶ってもまだ「貧乏人は麦を食え」という総理が居たというのに。戦前から食べ続けてきた私たちに向かって。
何せこんな時代にピストルまで登場するのだから。当時を生きてきた私には青天の霹靂。こんな貴族社会は滅びて当然。
当時の日記帳4月27日は戦後初の衆議院議員選挙の結果が。5月1日には、フィリピンで戦死した叔父の法要を記す。
追伸:
私事で感情に走って終い陳謝。
【私の評価】その意欲は充分感じ取れる佳作。
【私の好み度(①好む。②好む方。③普通。④嫌な方。⑤嫌)】→④。
1947年(2012/2/2TV録画観賞=初見).日(松竹)[監督]吉村公三郎[撮影]生方敏夫[音楽]木下忠司[主な出演者★=好演☆=印象]☆滝沢修。☆原節子。森雅之。逢初夢子。清水将夫[上映時間]1時間29分。
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