1953年の公開洋画 My Best10
[註]今までサイド・バーにupしていた「○○年の公開洋画 My Best10」を、こちらでupに変更。
私の映画館通いが激しくなったのは、この年からであった。 My Best10も、洋画、邦画に分けて選んでみた。
先ず、洋画の部。
第1位
「シェーン」
(1953年10月7日、京都宝塚劇場に木霊した「シェーン!カム・バック!」は永久に忘れられない。あの時、ジョイ少年を演じたブランドン・デ・ワイルドはもうこの世に居ない。)

[註]映画はカラー作品。
第2位
「地上最大のショウ」
忘れもしない。1953年5月1日、メーデーが終わり、超満員の京都宝塚劇場で観たこの映画。私に映画の楽しさを知らしめてくれた。

第3位
「ライムライト」
それは人により、それぞれだろうが、私のチャップリン映画No.1は、これ。

第4位
「禁じられた遊び」
「呆気ないラストシーン」と書いた当時が恥ずかしい。これぞ名シーン!。

第5位
「探偵物語」
「私を許し給え」と祈りつつ昇天していったマクロード刑事に、大粒の涙を送った私だった。

第6位
「雨に唄えば」
「サウンド・オブ・ミュージック」と覇を競うミュージカル映画の最右翼。といえば過言だろうか。

第7位
「地上より永遠に」
観客の魂を揺さぶった1953年12月11日、京都市内新京極の菊水映画劇場に響いたあの喇叭の音色よ。

第8位
「終着駅」
遠い近いの差こそあれ、人みな終着駅に向かって走っている。自分に与えられた軌道の上を。

第9位
「肉体の冠」
この優雅な舟遊び風景が、あの悲愴なモノローグで終わるとは、、。

第10位
「宇宙戦争」
これは2005年にリメイクされたスティーヴン・スピルバーグ作品に非ず。1953年9月5日、朝日会館にて観賞した、これぞオリジナル。
画像なし
【次点】
「静かなる男」
1953年3月22日、京都宝塚劇場に出現したアイルランドの大草原は、巨匠ジョン・フォードが西部劇だけの監督ではないことを実証した。
私の映画館通いが激しくなったのは、この年からであった。 My Best10も、洋画、邦画に分けて選んでみた。
先ず、洋画の部。
第1位
「シェーン」
(1953年10月7日、京都宝塚劇場に木霊した「シェーン!カム・バック!」は永久に忘れられない。あの時、ジョイ少年を演じたブランドン・デ・ワイルドはもうこの世に居ない。)

[註]映画はカラー作品。
第2位
「地上最大のショウ」
忘れもしない。1953年5月1日、メーデーが終わり、超満員の京都宝塚劇場で観たこの映画。私に映画の楽しさを知らしめてくれた。

第3位
「ライムライト」
それは人により、それぞれだろうが、私のチャップリン映画No.1は、これ。

第4位
「禁じられた遊び」
「呆気ないラストシーン」と書いた当時が恥ずかしい。これぞ名シーン!。

第5位
「探偵物語」
「私を許し給え」と祈りつつ昇天していったマクロード刑事に、大粒の涙を送った私だった。

第6位
「雨に唄えば」
「サウンド・オブ・ミュージック」と覇を競うミュージカル映画の最右翼。といえば過言だろうか。

第7位
「地上より永遠に」
観客の魂を揺さぶった1953年12月11日、京都市内新京極の菊水映画劇場に響いたあの喇叭の音色よ。

第8位
「終着駅」
遠い近いの差こそあれ、人みな終着駅に向かって走っている。自分に与えられた軌道の上を。

第9位
「肉体の冠」
この優雅な舟遊び風景が、あの悲愴なモノローグで終わるとは、、。

第10位
「宇宙戦争」
これは2005年にリメイクされたスティーヴン・スピルバーグ作品に非ず。1953年9月5日、朝日会館にて観賞した、これぞオリジナル。
画像なし
【次点】
「静かなる男」
1953年3月22日、京都宝塚劇場に出現したアイルランドの大草原は、巨匠ジョン・フォードが西部劇だけの監督ではないことを実証した。

スポンサーサイト