
この映画に正解の解釈はあるのだろうか?と思う。
と言う訳は次の理由による。
【1】
先ず、題意の“かくも長き不在”の期間は、果たしてテレーズとアルベールが引き裂かれていた16年間の意味だろうか?。という疑問が生じたこと。
【2】
次に、アルベールは果たして、テレーズの夫だったのだろうか?ということ。
【3】
アルベールは果たして交通事故で死んだのか?という疑問さえ、私の鈍い脳裏を掠めたこと。等にある。
以上の疑問について、それぞれ自分なりに検証してみた。
【1】についてであるが、
①表面的には、そういうことだと思う。が。それだけでは無い様な気もしてくる。というのは、
②ラストでテレーズは呟く。「寒くなったら彼が戻って来るかも?。冬を待とう」と。
③アルベールが死んでいたら、こんな言葉は出ない筈。
④でも、あの暗黒画面は明らかにアルベールの死を表現している。
⑤ということは、少なくともテレーズは、彼の死を知らない。ということになるのだが、、。
⑥ここでピエールが彼女を労っているのが気になる。
テレーズはアルベールの死を知っていて、「冬を待とう」と言っているのかもしれないのだ。
この映画に正解の解釈はあるのだろうか?と言う理由の一つが此処にある。
ということで、アンリ・コルピ監督は、解釈は観客に任すとでも言って居られるのかもしれない?。とも思う。
私は、かくも長き不在の期間=16年間+冬が来るまでの期間。と解釈したい。
但し、その“冬”の解釈は難問である。
やはり、アンリ・コルピ監督は、その解釈も観客に任すと言って居られる様な気がするのである。
次に、
【2】の、アルベール=テレーズの夫。か?。という事であるが、
ネタバレしない様細かい説明は避けるが、いろいろな描写から、その数式は成り立つと思う。
だけど、“絶対にそうである”という確証までには到っていない。
ここでもアンリ・コルピ監督は、その解釈も観客に任すと言って居られる様な気がするのである。
要は、アルベール=テレーズの夫に非ず。と解釈しても、必ずしも不正解とはいえない気もする。
現に冒頭部分で、アルベールの伯母と甥は「彼はアルベールでない」と否定している。
次に、
【3】については、【1】-④で述べた理由により、アルベールは死んだと解釈していいと思う。
ということで、この映画は、観客に想像力を試す様な、創造性豊かな作品であり、またそれが作品レベルを押し挙げていると解釈したい。
「待って。行かないで」。 「どうして過去を拒絶する」。「拒絶していない」。
「アルベール・ランブロワ」。テレーズの叫びは、ムンクの叫びだ。
「メーヌのチーズ」。「メーヌ・エ・ロクール」。「夏のチーズ」。チーズの好きなアルベールは、やはりアルベールだと思う。
コラ・ヴォケールの「三つの小さな音符」。何と切ない。何と美しい旋律。アルベールの後頭部にそっと手を寄せるテレーズ。その三日月型の傷が総てを物語る鮮やかさ。反戦まで訴えているのだ。この映画は。
アルベール(ジョルジュ・ウィルソン)に寄り添い踊るテレーズ(アリダ・ヴァリ)の背に、私は熱く溢れ来たるものを堪え切れなかった。
【私の評価】これぞ秀作。
【私の好み度(①好む。②好む方。③普通。④嫌な方。⑤嫌)】→①。
1960年('64公開)(2012/7/15DVD観賞=初見).仏(東和=ATG)[監督]アンリ・コルピ[撮影]マルセル・ウェイス[音楽]シセョルジュ・ドルリュー[主な出演者★=好演☆=印象]★アリダ・ヴァリ。★ジョルジュ・ウィルソン。ジャック・アルダン。カトリーヌ・フォントネー[原題]UNE AUSSI LONGUE ABSENCE[上映時間]1時間38分。