めがね(二回目)

題意は、眼鏡を複数の主要人物が掛けているという単純な理由だけだろうか?。てなことを考え乍ら見ていたら、浜辺に掘っ立て小屋が現れた。途端に「この映画、前に見たことある」と気付く。それでもこの映画。最後まで再見させる魅力は持っていた。
今回感じたのは、ファンタジーっぽいということ。そういえば、タエコが降り立ったローカル空港の1カット。空港の名称を視野から外している。これが如何にもわざとらしく写る。
その通りだった。「めがね」から私は屡々「かもめ食堂」を想起した。あの食堂では、「こんなに客の来ない食堂がどうして経営が成り立っているのか?」というような理屈は不要だった。
同じようにこの「めがね」も、「メルシー体操に何処から人がやって来るのか?」と考えたりしては駄目なのだ。「この大きな学校に、何故生徒が居る気配を感じぬ?」てな考えも同様。
島に2軒しかない宿の一つハマダの亭主ユージは「3年ぶりの珍客だ」というのに、タエコに向かって「冷蔵庫の中のもの適当に食べて呉れ」と呆気ない。
更に、従業員でもないサクラが毎朝起こしに来る煩わしさに堪りかね、島にあるもう一軒の宿をタエコは目指したが…。
携帯電話が通じぬ島に旅したいという希望の崩壊は、人生思うようにはいかぬものという教訓なのか?。
また、掻き氷代を音楽で返す挿話は、物質面より精神面をとの説法か?。
はてまた、遂にメルシー体操を始めるタエコから、順応同化の大切さを促しているのか?。
私の眼からは「ん?」と思うようなエピソードも併せ持つのも目立った。
例えば「たそがれる」とは「癖みたいなもの」と言ってたけど、チンプンカンプン。
また、タエコが無くした眼鏡をユージが吊り上げるラスト。これは単なるハッピーエンド?。
更に、題名が“眼鏡”ではなく、“めがね”である由縁は?。
等々。
私にとっては、みんな、みんな。荻上直子ワールドだった。
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