三國連太郎さんを偲んで
光陰矢の如し。
三國連太郎さんが永眠されて早や1ヶ月近く経とうとしている
。
1951年、「善魔」でデビャー後、62年間に出演された作品は夥しい。200本近い中で、四十数本見ている。
その中から特に印象深い作品を抜粋、
追悼の誠を捧げたい。
①「善魔」(1951年)

このデビュー作。本名がその儘芸名になったのは周知の通り。
若い新聞記者役だったが、既に大器の片鱗を感じた。
殊に、久能山での桂木洋子との逢引きシーンは新鮮。
私も若い頃旅した場所だけに忘れられぬ。
②「本日休診」(1952年)

「気をつけ~!。頭(カシラー)中(ナカッ!)」。
壇上で指揮する勇作は戦争のトラウマを背負っていた。
勇作に扮する三國連太郎、デビューの翌年早くも名演。
その影に、三國さんご自身の体験が見え隠れするように思えた。
③「異母兄弟」(1957年)

この映画の役に徹するため、歯を抜かれたことも著名。
それには先輩が居た。「楢山節考」の田中絹代さんである。
彼女と共演するに当たって、薫陶を受けられたのではなかろうか?。
何れにしても凄い両雄ではある。
④「夜の鼓」(1958年)

地味な作品ながら今も深い印象を宿す。
江戸時代。長い参勤交代を終え帰省した武士が、留守中に妻が姦通していた事を知る。
不義密通は死罪が掟。(溝口健二監督「近松物語」の、おさんと茂兵衛を思い出す)。
泣く泣く妻を斬る悲しみと、こんな行為をさせた封建社会への抗議がに交錯する。
三国蓮太郎は彼最高の出来と。当時のノート(画像)にあり。
⑤「飢餓海峡」(1964年)

これは正に「レ・ミゼラブル」日本版。
日本のジャン・バルジャン、樽見京一郎に扮する三国連太郎。
握り飯を食べる八重を見て、ゴクンと生唾を飲み込む迫真の演技が忘れられぬ。
⑥その他の作品群の中より。

渾身の演技が全編に漲っていた「利休」(1989年=画像)や、
以下、年代順に、
「ビルマの竪琴」(1956年)。
「神々の深き欲望」(1968年)。
「八甲田山」(1977年)。
「復讐するは我にあり」(1979年)。
「息子」(1991年)。
「北辰斜にさすところ」(2007年)年。
等に於ける三国さんが印象深く残っている。
⑦特記事項。

⑦-1.
三国さん自ら脚本・監督された唯一の作品。「親鸞 白い道」(1987年=画像)は、難解な作品だったが、親鸞とその宗教に心髄された三国さんの武者震いが聞こえそうだった。
⑦-2.
「釣りバカ日誌」シリーズ(1988~2009年)全20作品で演じられた鈴木建設社長;鈴木一之助ことスーさんのとぼけた味技も捨て難いものがある。
⑦-3.
ドラマにも数多く出演されている。「老いてこそなお」(2004年)など晩年の枯れた味は、円熟の極みを伺わせるものがあった。
晩年、ご子息の佐藤浩市さんを称し「まだまだ」と叱咤激励されていたことも思い出される。
名優の一人がまたこの世を去った。
昭和は益々遠くなって行く。
三國連太郎さんが永眠されて早や1ヶ月近く経とうとしている
。
1951年、「善魔」でデビャー後、62年間に出演された作品は夥しい。200本近い中で、四十数本見ている。
その中から特に印象深い作品を抜粋、
追悼の誠を捧げたい。
①「善魔」(1951年)

このデビュー作。本名がその儘芸名になったのは周知の通り。
若い新聞記者役だったが、既に大器の片鱗を感じた。
殊に、久能山での桂木洋子との逢引きシーンは新鮮。
私も若い頃旅した場所だけに忘れられぬ。
②「本日休診」(1952年)

「気をつけ~!。頭(カシラー)中(ナカッ!)」。
壇上で指揮する勇作は戦争のトラウマを背負っていた。
勇作に扮する三國連太郎、デビューの翌年早くも名演。
その影に、三國さんご自身の体験が見え隠れするように思えた。
③「異母兄弟」(1957年)

この映画の役に徹するため、歯を抜かれたことも著名。
それには先輩が居た。「楢山節考」の田中絹代さんである。
彼女と共演するに当たって、薫陶を受けられたのではなかろうか?。
何れにしても凄い両雄ではある。
④「夜の鼓」(1958年)

地味な作品ながら今も深い印象を宿す。
江戸時代。長い参勤交代を終え帰省した武士が、留守中に妻が姦通していた事を知る。
不義密通は死罪が掟。(溝口健二監督「近松物語」の、おさんと茂兵衛を思い出す)。
泣く泣く妻を斬る悲しみと、こんな行為をさせた封建社会への抗議がに交錯する。
三国蓮太郎は彼最高の出来と。当時のノート(画像)にあり。
⑤「飢餓海峡」(1964年)

これは正に「レ・ミゼラブル」日本版。
日本のジャン・バルジャン、樽見京一郎に扮する三国連太郎。
握り飯を食べる八重を見て、ゴクンと生唾を飲み込む迫真の演技が忘れられぬ。
⑥その他の作品群の中より。

渾身の演技が全編に漲っていた「利休」(1989年=画像)や、
以下、年代順に、
「ビルマの竪琴」(1956年)。
「神々の深き欲望」(1968年)。
「八甲田山」(1977年)。
「復讐するは我にあり」(1979年)。
「息子」(1991年)。
「北辰斜にさすところ」(2007年)年。
等に於ける三国さんが印象深く残っている。
⑦特記事項。

⑦-1.
三国さん自ら脚本・監督された唯一の作品。「親鸞 白い道」(1987年=画像)は、難解な作品だったが、親鸞とその宗教に心髄された三国さんの武者震いが聞こえそうだった。
⑦-2.
「釣りバカ日誌」シリーズ(1988~2009年)全20作品で演じられた鈴木建設社長;鈴木一之助ことスーさんのとぼけた味技も捨て難いものがある。
⑦-3.
ドラマにも数多く出演されている。「老いてこそなお」(2004年)など晩年の枯れた味は、円熟の極みを伺わせるものがあった。
晩年、ご子息の佐藤浩市さんを称し「まだまだ」と叱咤激励されていたことも思い出される。
名優の一人がまたこの世を去った。
昭和は益々遠くなって行く。
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