七人の侍

ほとんど半年ぶりに日本映画を観る。完全な洋画ファンになってしまった自分もこの映画を観て日本映画の良さを再認識した。これは日本映画史上に燦然として残る、輝く金字塔である。何故か?先ず第一にこれほど迫力のある、力同感のあふれたダイナミックな映画はかって無かった。日本映画は箱庭的な美しさを持った数少ないもののみが良画とされていたようだ。
これはその゜小さいスケールを打ち破った。つまらない洋画など遙かに及ばない。黒澤明あってこそ出来た映画だ。そこには弱気を助ける野武士の尊い姿が脈々と流れる。志乃と勝四郎の恋など殺風景なムードを和らげているが、最も印象深かったのは、三船敏郎扮する菊千代だ。少しおつむが足りなくて野生そのものの彼は、ともすれば堅くなりがちなムードを和らげ随所で観客を笑わす。的の鉄砲を奪ってくるところなど傑作。
久蔵の宮口精二からはその鋭い眼光から孤独の秀才的雰囲気が漂う。大将格の勘兵衛(志村喬)も渋い。20戸の家を守るために犠牲になる3戸の百姓の騒ぎを押さえ、脱線しがちの菊千代を押さえ、子供を抱かえた泥棒を殺し、苦心して侍を募る。沈着な五郎兵衛、薪を割って暮らす明るい平八(千秋実)、忠実な勘兵衛の部下、七郎次(加東大介)、ほかの侍の性格描写も入念。
これら七人が集まる挿話も面白い。クライマックスの決戦が来る。勘兵衛の昔体験した敗戦を生かした作戦で、40騎の敵は十数騎に減るが、平八が戦死。この第1戦で菊千代が馬に手こずるところは面白い。「貴様はそれでも馬か」は傑作。見張りに来た3騎を久蔵が切り捨てた後、勘兵衛の作戦で1~2騎だけを村に入れ、後は百姓たちの竹槍で防ぎ、少しづつ料理していく。
これに気づいた残り13騎が死力を尽くして攻めてくる前夜の描写も丹念。壺の酒を豪快に飲み干す菊千代、適切な処置を施していく勘兵衛、伝達役の七郎次。勝四郎と密会の志乃を叩きのめす父親の万蔵。勘兵衛の勧める酒を断り団子を頬張る久蔵。夜が明ける。豪雨が藁屋根を叩き、泥海の道を野武士の蹄の音が響いてくる。
六つの○と一つの△、平八の作った旗が、△に該当する菊千代の手で、勇ましく、美しく、翩翻と藁屋根に翻る。余談ながら平八が旗の意味を披露するショットは爆笑を誘う。最後の決戦は壮烈。土に差した刀を取り替えては切りまくる菊千代。洗練された久蔵の剣は右に左に閃き倒れる野武士が居れば、七郎次の槍に血を吹く敵も居る。勘兵衛の放つ矢は必殺だ。
が、味方も犠牲が出てくる。五郎兵衛が倒れた後、久蔵が種子島の轟音の中、白刃を閃かしつつ泥の中に俯す。怒る菊千代が勘兵衛の制止を振り切り、小屋に潜む敵に切り込む。が、轟く筒音の中、腹を打ち抜かれる。最後の気力を振り絞る彼はその敵を討ち果たす。その壮絶さに残った5~6騎は何処と無く逃げ去る。墓地に築かれた四つの土饅頭を拝む三人の侍と百姓たち。
下方から捕らえたアングルの撮影と、洋画にも決して引けをとらぬ音楽は、この上もない悲壮美を醸し出す。一転がらっと田植え風景に変わる。日本楽器が奏でる音と、響く民謡は平和の戻った村中に渡っていく。「また生き残ったな」と勘兵衛は七郎次と顔を合わし呟く。甲斐甲斐しく苗を運ぶ志乃と顔を合わす勝四郎。
逃げるように乙女の中に入り、太鼓に合わせて歌う志乃の高い声は印象深い。勘兵衛は七郎次に話を続ける。「また俺たちは負けたなあ」意外な表情の七郎次に彼は応える。「いや、勝ったのはあの百姓たちだ。俺たちでは無い」。緑の風に乗って流れゆく田植え歌。三時間半の大作は終わる。終始、拳を振り、眼を潤ませ、明るく打ち笑い、若い血を滾らせたこの映画に、私は絶賛の拍手を音高らかに送って、この感想文を終える。【←1954年5月8日観賞後の文】