風と共に去りぬ

『サウンド・オブ・ミュージック』の時代背景となっているのが1940年。日本では「紀元は2600年・・ああ一億の鐘は鳴る・・」と唄っていたこの年に、アメリカで創られた『風と共に去りぬ』は、1952年に至って、東京と共に、全国ただ2館の触れ込みで大阪松竹座で日本初公開された。当時観たくてヤキモキしていたことを思い起こす。だがそれは叶わなかった。
その私がやっと初めて此の映画を観たのはその翌年、1953年9月20日だった。当時、多数の映画館が立ち並んでいた京都の新京極。南から入ると先ず右手に見えてくるのがSY京映だった。当館は今でも健在の筈だが。当時その館前にあった派手な色彩の大看板を今でもありありと思い出すことが出来る。当時半年ほど連続上映された此の映画は、私をしてその後数年間は、年に百本以上の映画を観させる因を作った。
「これぞ映画」といえるその魅力を堪能させてくれたからだ。この正月にもTV放映されていたのでまた観てしまった。此の映画もまた何度観ても見飽きない。しかも観る度に変わった視点が生れる。「色彩は黄色みが出過ぎる」と当時の鑑賞ノートにはあるが、当初はアトランタ市街の火災シーンに目を見張り、強烈な個性のスカーレットを中心に織りなす絢爛豪華なメロドラマに圧倒されただけだった。
その後何度と観ているうちに、主役級のスカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)と、レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)。準主役級のアシュレー・ウィルクス(レスリー・ハワード)と、メラニー・ハミルトン(オリヴィア・デ・ハヴィランド)。この4人が織りなす生き様に興を曳くようになった。
スカーレットの生き様には賛否両論があると思う。私は、妹の婚約者まで奪う行為に嫌悪感を催した時もあったが、今は、バトラーに本音を打ち明け、蹴飛ばされても、「明日のことは明日考えよう」、「ターラに行こう」と言う彼女の生き抜こうとする思考力と実践力に魅力を感じる。
と、此処まで書いて浮かんだのが『血と骨』の金俊平。彼は最後にその力が絶えたのだ。北鮮に行った訳が今判ったような気がする。閑話休題。この正月に観た際には、上述4人のほかに、第三の助演者、マミー(ハティ・マクダニエル)が脳裏に刻まれた。この長大な大河ドラマの潤滑油の役目を彼女は演じている。
忍耐を重ねつつ、正に適役と言える主役級の二人を見出した制作者デヴィッド・O・セルズニックの執念。長時間を感じさせぬシドニー・ハワードの機敏で鋭い脚本。マーガレット・ミッチェルの原作を重厚に視覚化したヴィクター・フレミングの演出。「タラのテーマ」が悠々と流れるマックス・スタイナーの音楽。開発途上のテクニカラーを駆使したアーネスト・ホーラー&レイ・レナハンの果敢な撮影。これら堅固なチームワークは、リメイクを許さぬ聖域を創り上げている。2005年1月9日 記