ブリキの太鼓(ディレクターズ・カット版)

テ゚ィレクターズ・カット版とあったので再見。公開版を観てから相当歳月を経ているので何処が違っているかは分からなかった。分かったのは、摩訶不思議な映画と思った当時よりは、少しは分かったような気がすること。
これは、ニュー・ジャーマン・シネマの代表作ではないだろうか。アメリカン・ニュー・シネマの影響が匂う。具体的に言えば、複雑な血族関係と其の煮えたぎるような官能描写にある。
それはオスカルが呟く「叔父だけど父かもしれぬヤン」で象徴されるだろう。実際は母アグネスの従兄ヤンとの間に産まれた彼は、垂乳根の胎内を出流る時を記憶していた。此処での観念を映像化したような描写からは、思わずドイツ表現主義を連想した。
アグネスの夫マツェラートに娶られたマリアが、オスカルを誘惑。クルトを設けるプロセスも大胆な描写。が、それは多くの登場人物の不幸な死で掻き消される。
オスカルにブリキの太鼓を与え続けたマルクスや、アグネスの自殺。銃殺されるヤン。銃弾に倒れるマツェラート。爆死する慰問団の女王ロスヴィーダ等々。
現実の世界大戦フィルムと屡々交錯して写される様々の悲惨な事件から思うのは、ただ反戦。それあるのみ。
くどくど書いたが其れ等は枝葉の部分かもしれない。骨幹は、3才にして成長を止め、ある時期で復活するオスカルが、要所要所で叩くブリキの太鼓だろう。
その白眉は、“♪美しく青きドナウ”で、ナチの計画を挫折させるシークェンスといえよう。
終わりに、オスカルらの行進シーン(下記の上部画像)が、フェデリコ・フェリーニ作品「8 1/2」の道化師の行進(下部の画像)と折り重なったのが、妙に印象的だったことを記して筆を止めたい。


--おわり--