男はつらいよ 寅次郎物語
'87公開【監督】山田洋次【主演】渥美清【助演】秋吉久美子.五月みどり.伊藤祐一郎(他)

このシリーズ第39作は、次の三点で印象が強かった。
①“この世には肉親愛に優るとも劣らぬ他人愛がある”という事を再認識したこと。
これは最も重く受け止めた事柄である。
大阪、和歌山、吉野…。父無し子の秀吉(伊藤祐一郎)を、生みの母、ふで(五月みどり)に会わすべく旅する寅さん。やっと、志摩まで辿り着いた末、その目的を達した。
「柴又へ帰る」という寅さんに秀吉は訴える。
「おじさんと一緒に柴又へ帰りたい」と、、。
「それは駄目だ」と厳しく言い聞かせるショットが、堪えきれぬ感動を呼ぶ。
波止場の別れは、「見かへりの塔」や「泥の河」に於ける、あの名シーンをも彷彿させるカメラの長回し撮影で強印象。
上述の心根は、寅さんだけでなく、寅さん一家とそれを取り巻く人々にも見られた。
そして「とうさん」「かあさん」と呼び合ったマドンナの隆子(秋吉久美子)にも。
まるでコピーしたかのように、それは人々の心の奥に宿っていた。なんと素晴らしい!。
②“人は何のために生きているのか”という、自問自答に改めて迫られたこと。
再び旅路に出る寅さんを、柴又駅まで送る道すがら、突然、満男は問い掛ける。
「伯父さん、人は何のために生きるのですか?」。
ちょっとだけ考えて、寅さんは答える。
「なぁ、満男。長い人生の間には、‘生きてて良かった’と思う時が、二つや三つは必ずある。その時の為に生きてるんだ」と。
寅さんらしい良い答えだと感心した。
八十路を歩む私も、あと一つぐらいは、そのような思いをしたい。そうで無ければ生きていけないなぁ。とも。
でも深く考えれば、それは待って居るだけでは応えてくれない。その為に、その様に、努めなければいけない。とも。
満男の成長を垣間見た佳いシーンであった。
③笑う門には福来たる。という諺を改めて見直したこと。
まるで修身の教科書や、哲学擬きのような書込をしたかもしれない。かといって此の物語は決して固くない。むしろ柔らかい。その根っこは喜劇だから。
当然、あちこちで笑わせてくれる。
ところ=とらや。
と き=ふで蒸発のあと。
あけみ「(秀吉の)お母さんは蒸発したんだって」。
寅さん「何処へ?」。
あけみ「それが分からないから蒸発って言うんじゃないの」。
一見、何でもない台詞の遣り取りだけど、何とも言えない可笑しさが込み上げる瞬間だ。
あけみに扮する美保純。相変わらず一服の清涼剤にも似た爽やかさを持っている。
また、先述した「とうさん」「かあさん」のくだりに於ける、とらや一家の会話には、思わず噴き出してしまう可笑しさが充満している。それが単なる台詞からだけの可笑しさでないところが、キラリと光るのだ。
蒸発の終着駅で、幸せの青い鳥を得た、ふで親子3人姿を垣間見る寅さん。
こんな二見浦の新年風景で、母を尋ねたロード・ムービーは大団円を迎える。
各地の風景撮影も旅情豊で素晴らしい。

このシリーズ第39作は、次の三点で印象が強かった。
①“この世には肉親愛に優るとも劣らぬ他人愛がある”という事を再認識したこと。
これは最も重く受け止めた事柄である。
大阪、和歌山、吉野…。父無し子の秀吉(伊藤祐一郎)を、生みの母、ふで(五月みどり)に会わすべく旅する寅さん。やっと、志摩まで辿り着いた末、その目的を達した。
「柴又へ帰る」という寅さんに秀吉は訴える。
「おじさんと一緒に柴又へ帰りたい」と、、。
「それは駄目だ」と厳しく言い聞かせるショットが、堪えきれぬ感動を呼ぶ。
波止場の別れは、「見かへりの塔」や「泥の河」に於ける、あの名シーンをも彷彿させるカメラの長回し撮影で強印象。
上述の心根は、寅さんだけでなく、寅さん一家とそれを取り巻く人々にも見られた。
そして「とうさん」「かあさん」と呼び合ったマドンナの隆子(秋吉久美子)にも。
まるでコピーしたかのように、それは人々の心の奥に宿っていた。なんと素晴らしい!。
②“人は何のために生きているのか”という、自問自答に改めて迫られたこと。
再び旅路に出る寅さんを、柴又駅まで送る道すがら、突然、満男は問い掛ける。
「伯父さん、人は何のために生きるのですか?」。
ちょっとだけ考えて、寅さんは答える。
「なぁ、満男。長い人生の間には、‘生きてて良かった’と思う時が、二つや三つは必ずある。その時の為に生きてるんだ」と。
寅さんらしい良い答えだと感心した。
八十路を歩む私も、あと一つぐらいは、そのような思いをしたい。そうで無ければ生きていけないなぁ。とも。
でも深く考えれば、それは待って居るだけでは応えてくれない。その為に、その様に、努めなければいけない。とも。
満男の成長を垣間見た佳いシーンであった。
③笑う門には福来たる。という諺を改めて見直したこと。
まるで修身の教科書や、哲学擬きのような書込をしたかもしれない。かといって此の物語は決して固くない。むしろ柔らかい。その根っこは喜劇だから。
当然、あちこちで笑わせてくれる。
ところ=とらや。
と き=ふで蒸発のあと。
あけみ「(秀吉の)お母さんは蒸発したんだって」。
寅さん「何処へ?」。
あけみ「それが分からないから蒸発って言うんじゃないの」。
一見、何でもない台詞の遣り取りだけど、何とも言えない可笑しさが込み上げる瞬間だ。
あけみに扮する美保純。相変わらず一服の清涼剤にも似た爽やかさを持っている。
また、先述した「とうさん」「かあさん」のくだりに於ける、とらや一家の会話には、思わず噴き出してしまう可笑しさが充満している。それが単なる台詞からだけの可笑しさでないところが、キラリと光るのだ。
蒸発の終着駅で、幸せの青い鳥を得た、ふで親子3人姿を垣間見る寅さん。
こんな二見浦の新年風景で、母を尋ねたロード・ムービーは大団円を迎える。
各地の風景撮影も旅情豊で素晴らしい。