凛として愛
今年もまた12月8日が巡って来た。朝刊に目を通す。「載っていた!」コラム欄に!。「(前略)国を守る決意もいいけれど、戦没者の悔しさを思い、孫子の顔を浮かべての一票も悪くない。」で閉めた文に共振した。
71年前のこの日を私は生涯忘れられぬ。「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋に於いて米英両軍と戦闘状態に入れり。繰り返します。……」。
その声は、我が家の4球高周波一段増幅ラジオから6畳の和室に慌ただしく拡散した。マグネティック・スピーカー特有の金属性高音で、、。
「えらいこっちゃ」。当時、病に伏していた父に知らせに行ったあの日。今日の様に寒かったのだろうか?。不思議に気候だけは覚えていない。
それから3年9ヶ月後。あの8月15日が訪れる。不思議にこの日の気候だけははっきりと覚えている。ギラギラと太陽が照りつけるあの青空を。

だが……
と、映画は続く。
あれから67年の歳月が流れても、百万を越す戦没者の遺骨は未だに戻らず。と、、。
一昨年亡くなられた泉水隆一監督が2年の歳月をかけて作られたと漏れ聞くこの映画を、先日鑑賞する機会を得た。
何故この作品が僅か2日間で公開を打ち切られたのか?。と、頬を伝うものを一目構わず流し続けた70分であった。
冒頭、一面に咲く菜の花。少年が笑顔で走っている。平和な人達の寸系が続く中で、途切れ途切れに字幕が現れては消えゆく。
(この続きはネタバレ多し。理由=個人用記録が目的のため)
71年前のこの日を私は生涯忘れられぬ。「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋に於いて米英両軍と戦闘状態に入れり。繰り返します。……」。
その声は、我が家の4球高周波一段増幅ラジオから6畳の和室に慌ただしく拡散した。マグネティック・スピーカー特有の金属性高音で、、。
「えらいこっちゃ」。当時、病に伏していた父に知らせに行ったあの日。今日の様に寒かったのだろうか?。不思議に気候だけは覚えていない。
それから3年9ヶ月後。あの8月15日が訪れる。不思議にこの日の気候だけははっきりと覚えている。ギラギラと太陽が照りつけるあの青空を。

だが……
と、映画は続く。
あれから67年の歳月が流れても、百万を越す戦没者の遺骨は未だに戻らず。と、、。
一昨年亡くなられた泉水隆一監督が2年の歳月をかけて作られたと漏れ聞くこの映画を、先日鑑賞する機会を得た。
何故この作品が僅か2日間で公開を打ち切られたのか?。と、頬を伝うものを一目構わず流し続けた70分であった。
冒頭、一面に咲く菜の花。少年が笑顔で走っている。平和な人達の寸系が続く中で、途切れ途切れに字幕が現れては消えゆく。
(この続きはネタバレ多し。理由=個人用記録が目的のため)
(字幕)
国家によって
安全と平和
生命と財産を
護りきれなかった
国民の悲惨さを
私たちは知らない
と、、。
(私の呟き)
そうだ。私も少しばかり銃後の護りに尽くしたのみ。ほんの一部分しか知らないのだ。
(画面)
日本軍戦車の残骸と、現在のビル群の慌ただしいクロス・カッティング。脚本も兼ねた監督のメッセージ。
(字幕)
この一篇を
明治開国から大東亜戦争に至るまで
祖国のために力の限り戦った幾千万の将兵と
銃後の護りに尽くされた
総ての先人に感謝と畏敬の念をこめて
捧げます
(私の呟き)
大東亜戦争も禁句になってしまったんだなぁ、、。
(画面)
穏やかな海辺。クローズアップされる少女の顔。懐かしい麦藁帽子を被ったランニングシャツ姿の少年。
(私の呟き)
少年が手にする昆虫採取用の網竿が懐かしいなぁ。
(画面)
原爆の茸雲。そして…8月15日。
(字幕)
日本は3年8ヶ月に及ぶ大東亜戦争に終止符を打った。
建国以来初めての敗戦であった。
(悲痛な音楽と画面)
田圃風景。ガラス玉の風鈴。剣道をする青年。
青年が打ち下ろした木刀で、壊れ落下する風鈴。
(この続きは後日記載予定)
↑
予定を中止。理由=個人用記録が目的ならば、ブログで残す要なしと気付いたため。
感動と共に、いろいろ考えさせられた映画だった。
戦艦大和の場面で、前席の老婆がハンカチを拭った。弟さんが乗って居られた事を後で知る。弟さんの霊を慰めるため、毎年、呉まで赴かれるとの事だった。90才を越えるお歳の身で、、。
私も比島で散華した叔父の霊を慰めに、これからも毎年、この映画のクレジットにも出た地元の護国神社参拝を続けよう。
国家によって
安全と平和
生命と財産を
護りきれなかった
国民の悲惨さを
私たちは知らない
と、、。
(私の呟き)
そうだ。私も少しばかり銃後の護りに尽くしたのみ。ほんの一部分しか知らないのだ。
(画面)
日本軍戦車の残骸と、現在のビル群の慌ただしいクロス・カッティング。脚本も兼ねた監督のメッセージ。
(字幕)
この一篇を
明治開国から大東亜戦争に至るまで
祖国のために力の限り戦った幾千万の将兵と
銃後の護りに尽くされた
総ての先人に感謝と畏敬の念をこめて
捧げます
(私の呟き)
大東亜戦争も禁句になってしまったんだなぁ、、。
(画面)
穏やかな海辺。クローズアップされる少女の顔。懐かしい麦藁帽子を被ったランニングシャツ姿の少年。
(私の呟き)
少年が手にする昆虫採取用の網竿が懐かしいなぁ。
(画面)
原爆の茸雲。そして…8月15日。
(字幕)
日本は3年8ヶ月に及ぶ大東亜戦争に終止符を打った。
建国以来初めての敗戦であった。
(悲痛な音楽と画面)
田圃風景。ガラス玉の風鈴。剣道をする青年。
青年が打ち下ろした木刀で、壊れ落下する風鈴。
(この続きは後日記載予定)
↑
予定を中止。理由=個人用記録が目的ならば、ブログで残す要なしと気付いたため。
感動と共に、いろいろ考えさせられた映画だった。
戦艦大和の場面で、前席の老婆がハンカチを拭った。弟さんが乗って居られた事を後で知る。弟さんの霊を慰めるため、毎年、呉まで赴かれるとの事だった。90才を越えるお歳の身で、、。
私も比島で散華した叔父の霊を慰めに、これからも毎年、この映画のクレジットにも出た地元の護国神社参拝を続けよう。