四十七人の刺客(再見)

選挙が重なったりして、何かと気ぜわしい師走だ。が、太平洋戦争が始まった12/8と、討ち入りのあった12/14は、それぞれに関連した映画鑑賞が習慣となった。
今年の12/14は、TV放映された「四十七人の刺客」を再見。 所感は、映画館で見た初見時と殆ど変わらなかった。
大石と色部の知略を尽くした死闘は見応え充分。細かい数点のみ下述して置きたい。
①動的である。
討ち入り場面は別にして、どちらかといえば、大石の心理、葛藤に重心を向けた“静”の作品が目立つが、これはどちらかといえば“動”が目立つ。
その象徴的な場面は、討ち入りに赴くシーン。粉雪を舞い上がらせて吉良屋敷までひた走る数カットが秀逸。雪に残ってゆく足跡。その音も無し。


②現代風の匂いが発散する。
妻りく:「主税を参加させるのですね」と念を押す。
内蔵助:「一族近親参加の藩士が多い。だから、加える」と答える。過去の忠臣蔵には見られぬ新解釈だ。
③リアルである。
夜間に堀を利用して、討ち入り用の武器を運搬する。理に適ったこういう綿密な描写も今迄には見られなかったと思っている。
③特異性、奇抜的なところが見受けられる。
討ち入り前に内蔵助が、自分を襲ってきた侍を切り捨てる。 「人を斬ったのは初めて」という1カットなど、頭脳知略だけの人物ではないと認識させる。
④新鮮味な演出が鏤められている。
忠臣蔵ほど数多く映画やドラマ化された作品はないだろう。今や古色蒼然たる演出では×。
この作品は、山科の場面に始まる。松の廊下は至極簡単な表現。といった例が目立ち、総てに際だつ。
⑤一点だけ、初見時と変わったこと。
と言えば、高倉健さんの大石について、今回は違和感を感じなかったこと。
初見後、18年経過。この間、健さんの映画を多く見てきているので、受け取り方が変わったからであろう。