酔いどれ天使

戦中「♪七つ牡丹は桜に錨~」と唄われた予科練制服を、戦後払い下げを受け五つ牡丹に改装した学生服を私たちは着ていた。帯芯で作った鞄に高下駄姿で、道筋の映画館の看板『酔いどれ天使』を横目で眺めていた思い出が残っている。
学校からの団体鑑賞で『手をつなぐ子等』と『蜂の巣の子供たち』を見たのもこの1948年。A級戦犯が処刑された翌朝、眼を真っ赤にしていた人を見たのもこの年の登校時。戦後処理が未だ尾を引いているような時代だった。「昔のことはよく覚えている」と言うけど本当にそうだな。
閑話休題。
スタッフとキャスティングの後「演出:黒澤明」の字幕が消える。「監督」ではなく「演出」であるのが興を惹く。 お粗末な外灯が汚い沼を照らす下で男が爪弾く旋律は確か「雨のブルース」。「♪雨が静かに降る~日暮れの街外れ~」・・1936年にSPレコード発売後15万枚を超えるヒットとなった淡谷のり子の名曲である。まるで背筋が痺れるようだ。
荒野の道標にスタッフやキャスティングが現れ「♪Oh my darling~オー・マイ・ダーリン~」と「いとしのクレメンタイン」が流れる『荒野の決闘(1946年)』のトップシーンに似ていると、その時思った。 対岸で聴いていた2~3人の女が煙草を噴かしつつ、ゆっくりと立ち去って行く。全編を通じ、この水面を覆う廃棄物が頻繁に写る。もしこの時代に黒澤監督が公害を意識していたとすれば、、それは何たる慧眼!。
蜘蛛の巣が張られ「真田醫院」と書かれた家屋が畔に佇んでいる。胸を病む渡世人松永(三船敏郎)の体内から銃弾を取り出しているのは、アル中の寡医者真田(志村喬)である。 「アルコールよりも石油に近い」と呟きつつ何時も露店で闇酒のコップを煽っている彼が、「♪港の見える丘」を唄いながら手伝いの美代(中北千枝子)に「蚊取り線香を持って来て呉れ」と呼ぶ。その姿に再び『荒野の決闘』のドク・ホリディ(ヴィクター・マチュア)を連想した。
そういえば松永の背に、ワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)を被させられぬこともない。万一、黒澤監督が2年前のジョン・フォードの名作を意識していたら?まさかそんなことは無いだろうが、、。 前年の1947年『銀嶺の果て』でデビューした三船は、志村と互角の熱演を魅せる。昔懐かしい細型のアイスキャンデーをしゃぶる真田が、くわえ煙草の松永に言う。「手術代は要らん。一杯飲ませろ」。松永「ダニみたいな奴だ」。真田「世間ではお前達の事をそう言ってるよ」。 心の一角に良心を残す渡世人と、法を無視して恵まれぬ男女を助ける酔いどれ天使。二人の不思議な友情がこの作品の屋台骨をしっかと形取る。
これまた淡谷のり子の名曲「君忘れじのブルース」が流れてきた。情婦人奈々江(木暮実千代)と踊る松永が揉じるキャバレーだ。曲は「ジャングル・ヴギ」に変わる。当時人絶頂の笠置シヅ子がホール歌手に扮して唄い捲るシーンは一際華やかだ。 盛者必衰。喀血した松永は岡田(山本礼三郎)に縄張りを奪われる。奈々江は松永を裏切り岡田の許に走る。 何時も「フンツ!」と威張り癖をする真田が「この沼みたいだ。黴菌みたいな奴と手を切れ」と松永に叫ぶ。「そうか。この沼は社会悪の象徴だったのだ。社会悪批判が前面に漲る。
生み立て卵1個18円と吊した露店が窓外に見える。「喋っちゃ行かん。眠ってガキの頃の夢を見ろ」と励ます言葉にジーンと来る。松永が見る夢にヒューマンな薫りが漂う。「かっこうワルツ」この映画は常に音楽を意識している。 三面鏡と、零れるペンキと、洗濯物が揺れる物干しを利用した決闘シークェンスの撮影は秀逸。岡田を刺した後、物干し台から頭を下に倒れる松永のポーズは名画のよう。よく似たショットを何処かの洋画で見たような気もするが今思い出せない。
前年(1947年)オムニバス映画に少し顔を出した久我美子が、胸を病む少女役で鮮烈なデビューを果たしている。本格的に雪解けの沼。松永の遺骨を抱かえた飲み屋のぎん(千石規子)が呟く「6000円の葬式だけでは余りに可哀想」のセリフに涙腺が緩む。
ところで昨日(2006年9月15日)観た『日本沈没』は「いまいち」と思った私だが、若い人には人気がありそう。逆に「今の若い方が『酔いどれ天使』を見てどう感じる?」と、つい思ってしまう。もし「佳い映画だ」と思う人が多ければ、この映画は真の名画たり得よう。 1948年東宝映画。モノクロ作品。上映時間1時間38分。[演出]黒澤明。[脚本]植草圭之助、黒澤明。[撮影]伊藤武夫。