キャタピラー

上の画像は虚像。下の画像が実像と云える。

「ダイレクトな映像化は努めて避けるべし」と何度このブログに書いて来た事か。性描写に対する私の拘りは此の映画によって見事に粉砕された。
「ご褒美を差し上げますね」は、やがて「ハイ、ハイ」になる。そして「食べて寝て、食べて寝て」に。
それが何時しか「今日は駄目なのね。何故?」に変貌してゆく凄み。それは「軍神さまは皆の誇り」が「軍神様って何なのよ」に転換した時でもあった。
「今日は疲れてるのよ」は遂に「こうやって」と、夫、久蔵を殴打するシゲ子に、彼女の過去のトラウマがあったのか。戦争という特殊な社会背景の中で、人間の、特にその本能を真摯な眼で見詰めた、そのプロセス描写に参ったのである。

これだけではない。寺島しのぶは、虚像の一面も赤裸々に演じきる。遙か彼方に雪を抱く山並みは妙高山だろうか?。泥にまみれ野良仕事に精出す黒川シゲ子は、両陛下のご神影が壁に佇む家に帰れば機を織り、盥で洗濯する健気な妻であった。

国防婦人会の襷も凛々しい彼女は、貰った卵。小豆を夫に食べさせ、粥を焚く貞淑な妻であった。「砂糖の配給もない」とぼやく言葉に、当時、代用甘味料だったサッカリンやズルチンを思わず思い出した。
田圃の蛙の声が懐かしい。蝉の夕暮れ。リヤカー。蚊帳。みんな絵になって居る。時代考証は確かだ。
実像の部分が、虚像の部分である再三流れる軍歌と、揺れる旗波の影で雄叫ぶ反戦思想と比重を二分しているのが、此の作品のデメリットと思える感はある。
然し乍ら、ラストで分かる凶人の正体は見事である。彼も、シゲ子も、同じ戦争による心の犠牲者と捕らえるべきだろう。

あの日(1945/8/15)と同じギラギラ輝く太陽の下、共有していた犠牲から解放された彼と手を取り合う黒川シゲ子が居た。かって「芋虫コォロコロ。軍神様コ~ロコロ」と唱った夫が「少女シュミット」と同じ運命を辿って居るのも知らずに。
キャタピラーの題意を途中で知ることになるが、良心を呼び起こしその責を果たした夫も、泥棒にも三分の理の例えがある如く、彼も又、戦争の犠牲者であったのだ。

寺島しのぶさん、貴女は、吉永小百合さんを例に出して悪いが、彼女では到底演じられぬ役柄に、敢然と挑み、大輪の花を咲かせた名女優です。貴女の母上、富司純子さんが「分かる人には分かって貰える」とか言われたようですが、私はそれが分かったと思う一人です。
其処には神聖にして侵すべかざる夫婦の営みを必要性を有するからこそ画き切り、一塵の卑猥感も無し。
必要もないのに、猟奇的に描く幾多のBC級映画とは、明らかに一線を画するものである。
昔の映画と同じように、冒頭にスタッフ、キャストが紹介され、エンドロールは無い。これが歌、元ちとせ。作詞ナシム・ヒクメット。作曲外山雄三。組曲坂本龍一の「死んだ女の子」をより印象づける。
「♪あの子は七つ。今でも七つ。死んだ子は何時までも大きくならない」。慟哭。
何度も繰り返す中国での悲惨なシーン。溜息。合掌。
ラストのメッセージ。984人のBC級戦犯。広島14万人。長崎7万人。東京大空襲死者10万人。アジアにおける死者2000万人。全世界の死者6000万人。と言われている。の字幕は、
「日本のいちばん長い日」でのラスト。“兵士として参加した日本人1000万人(日本男子の1/4)”“戦死者200万人”“一般国民の死者100万人”“合計300万人。5所帯に1人の割合で肉親を失う”“家を焼かれ財産を失った者1500万人”へのオマージュだろうか。
終戦勅語を口語体でのテロップは新鮮。凄い反戦映画だった。「反戦映画が姿を消せば、戦争はまた起こる」という言葉を聞いた。私は二度観てしまった。戦争よ、二度と起こるな。
【私の評価】たとえ何と言われようと、これは秀作です。1時間半に満たない上映時間も佳良。
【私の好み度(①好む。②好む方。③普通。④嫌な方。⑤嫌)】→①。
2010年(2011/10/31TV録画観賞=初見).日[監督]若松孝二[撮影]辻智彦/戸田義久[音楽]サリー久保田/岡田ユミ[主な出演者★=好演☆=印象]★寺島しのぶ。☆大西信満。吉澤健。粕谷佳五。増田恵美。河原さぶ。☆篠原勝之[上映時間]1時間24分。